第1章 カンボジア-基礎知識

基礎知識

■正式国名 ➡ カンボジア王国

英語名:Kingdom of Cambodia

クメール語名: 

■国旗 

 

現在のカンボジアの国旗は、1993年の旧王国時代の国旗が復活したものであり、青色は「王室の権威」、赤色は「国民の忠誠心」、白色は「仏教」を表しています。中央には世界遺産にも登録されているアンコール・ワット遺跡が描かれています。

 

■面積・国土 ➡ 18万1,035㎢(日本の面積の約半分)

カンボジアはインドシナ半島の西南部に位置しています。国境線はベトナム、タイ、ラオスの3カ国と接しており、南西部はタイランド湾に面しています。

 

■首都 ➡ プノンペン/英語名:Phnom Penh

プノンペンは、カンボジアの行政、文化、経済の中心地となっており、かつて「東洋のパリ」と謳われたフランス植民地時代の美しい街並みを今でも感じることができます。プノンペンとはクメール語で「ペン夫人の丘」を意味します。ペン夫人は信心深く、ある日川を流れてきた仏像を見つけ、近くの丘に祠を作りました。この出来事が「プノンペン」という街の由来になったといわれています。その丘はワット・プノン(Wat Phnom)と名づけられ、ペン夫人の像や仏塔が建てられています。

 

■主要都市

カンボジアの主要都市としてプノンペン以外に、シェムリアップ、バッタンバン、シアヌークビル、バベットがあります。

 

[シェムリアップ] 英語名:Siem Reap 

カンボジア北西部にあるシェムリアップ州の州都です。世界遺産のアンコール・ワットやアンコール・トムなどを含むアンコール遺跡群、東南アジア最大の湖で、世界でも有数の多様な魚類が生息すると言われるトンレサップ湖があり、観光地・リゾート地として有名です。

シェムリアップは、クメール語で直訳すると「シャム人敗戦の地」という意味があります。かつてシェムリアップ一帯は、シャム(現在のタイ王国)の領土または属国でした。17世紀にクメール人がシャムのアユタヤ王朝(タイ族の王朝)の軍隊に勝利したことにちなんでいます。 

 

[バッタンバン] 英語名:Battambang

バッタンバンは、カンボジア西部バッタンバン州の州都です。プノンペンから北西約300kmに位置しており、シェムリアップに非常に近い位置にあります。

 

バッタンバンは、11世紀にクメール王国が設置し、国内有数の稲作地帯でした。1795年〜1907年の間は、シャムの内カンボジア州の州都でした。18世紀は、重要な交易都市となっていました。現在でも北西部の中心地で、首都プノンペンとタイ王国を結ぶ都市となっています。

 

[シアヌークビル] 英語名:Sihanoukville

シアヌークビルは、カンボジア南部のタイランド湾(コンポンソム湾)に面した港湾都市です。コンポン・ソム (「Kampong Som」または「Kampong Saom」)と呼ばれることもあります。また、日本語表記では「シハヌークビル」と呼ぶこともあります。

 

都市の名前の由来は、前国王ノロドム・シハヌークにちなんでいます。1964年に建設が始まり、当初は単にカンボジア唯一の大深度岸壁があるというだけでした。その後、一度カンボジア内戦により開発が頓挫していましたが、近年ではリゾート地として再度開発が進められています。

 

シアヌークビルは、砂浜に周囲を取り囲まれ、南と西の沖合には原始的な熱帯林の残る島々が浮かんでいます。近年では、カンボジア国内のビーチリゾートとして有名です。ビーチはシアヌークビルの西を縁取るように並んでいて、北から南へ順にVictory Beach、Lamherkay Beach、Koh Pos Beach、Independence Beach、Sokha beach、Serendipity Beach、Occheuteal Beachとなっています。また付近には多くの島があり、ほとんど島には宿泊施設はありません。しかし、どこのビーチも島も訪れることができ、ダイビングやシュノーケリング、釣りなどをすることが可能です。

 

■気候 ➡ 熱帯モンスーン気候

カンボジアは熱帯モンスーン気候に属し、5~10月が雨季、11~5月までが乾季となっています。年間平均気温は27.5℃で、最も気温が高くなる4月は最高平均気温が35℃を超える年もあります。

 

            【カンボジアの気温と降水量】

 

              出所:THE WORLD BANK

 

■時差 ➡ -2時間 

日本との時差は2時間で、日本の正午が、カンボジアでは午前10時になります。なお、サマータイムは導入されていません。

 

■人口➡1,620万人(2017年7月)

カンボジアの総人口は約1,620万人です。首都のプノンペンには183万人が居住しており、都市化が進んでいます。

人口増加率は1.52%であり、人口構成比は、年少人口(0歳~14歳)が31.01%、生産年齢人口(15歳~24歳)18.36%、生産年齢人口(25歳~64歳)40.68%、

高齢者人口(65歳~)4.25%(CIA – The World Factbook)です。

 

人口の9割以上はクメール人で、残りはチャム族、ベトナム人、華僑、その他民族などから構成されます。

 

                                                          出所: IMF-World Economic Outlook Databases

 

■言語 ➡ クメール語

カンボジアの国語及び公用語は、クメール語です。クメール語は、オーストロアジア語族のモン・クメール語派に属する言語です。クメール文化はインドの文化から大きな影響を受け、サンスクリットやパーリ語からの借用語が多く使われています。

 

■通貨 ➡ リエル

カンボジアの公定通貨はリエルですが、市場ではUSドルがよく使用されています。観光に行く場合でも、USドルさえ持っていれば困ることがないほどです。

 

■宗教➡仏教

カンボジア憲法では、仏教が国教として定められており、全人口の95%以上が仏教を信仰しています。宗教省という中央省庁があり、ここではパゴダの管理や各宗教団体の監督や教育的指導などを行っています。人々の信仰心はとても厚く「ポン・プレア」という日には、お寺に集まりお供え物をします。

 

国教としては、上座部仏教(旧名では小乗仏教)が憲法として定められています。しかし、カンボジア独自の仏教となっています。クメール王朝時代の9世紀頃はヒンドゥー教が国教であり、政権の移り変わりとともに何度も国教が変わりました。12世紀末からはヒンドゥー教と仏教が合わさったカンボジア独自の仏教が生まれました。そのため、カンボジアのパゴダなどにはヒンドゥー教のガルーダ神やナーガ神などの神様が祀られています。

 

また、ネアック・ターといったアニミズム(精霊崇拝)も根付いています。ネアック・ターとは、土地の守護神で、樹木や岩石や道端の祠に棲むといわれています。小祠に祀られていることが多く、民家の庭では果物や線香が供えられた小祠が多く見受けられます。多くのカンボジアの人々は、熱心な仏教徒であると同時に昔からの精霊も崇拝しています。

 

■カンボジア王国の主な歴史  

一般的なカンボジア人(クメール族)にとっては、アンコール王朝がカンボジアの歴史の始まりとされています。近代の植民地時代にはフランスによる支配を受け、今でもその名残が感じ取れます。

 

カンボジアの歴史上、最も大きな転換期といえば、1970年代以降に繰り広げられた内戦と、ポル・ポト政権下で行われた自国民の大量虐殺です。

 

特にポル・ポトによる虐殺は、約100~300万人もの人々が殺害されたといわれており、当時のカンボジア総人口(800万人)の、実に4分の1の命が奪われたことになります。また教師や医師などの知識層が虐殺の対象となったため、内戦が終了した後も、技術を持った人材が不足し、経済の発展が遅れるという大きな影を落とすことになりました。

 

現在、ようやく政治経済の安定を取り戻し、街は次第に活気を帯び、外国企業の進出も急速に拡大しています。今まさに、カンボジアの新たな歴史が刻まれる時代に突入しているといえます。

 

               【カンボジア大国の主な歴史】

   主な出来事
800~1200年 アンコール王朝が、現在のアンコール遺跡地方を拠点にインドシナ半島の大部分を支配。
1300年以降 タイ、ベトナムの攻撃により衰微。
1863年 フランスとカンボジア保護条約調印でフランスの保護国となる。
1884年 フランスとカンボジア協約調印でフランスの支配が強化される。
1953年 カンボジア王国としてフランスから独立。
1970年 ロン・ノンら反中親米派、クーデターによりシハヌーク政権打倒。王制を廃しクメール共和国樹立。親中共産勢力クメール・ルージュ(KR)との間で内戦。
1975年 KRが内戦に勝利し、民主カンボジア(ポル・ポト)政権を樹立。同政権下で大量の自国民虐殺。
1979年 ベトナム軍進攻でKR敗走、親ベトナムのプノンペン(ヘン・サムリン)政権擁立。以降、プノンペン政権と民主カンボジア三派連合(KRに王党(シハヌーク)派・共和(ソン・サン)派が加勢)の内戦。
1991年 パリ平和協定。
1992年 国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)活動開始(1992年~1993年、日本初の国連PKO参加)。
1993年 UNTAC監視下で制憲議会選挙、王党派フンシンペック党勝利。新憲法で王政復活。ラナリット第一首相(フンシンペック党)、フン・セン第二首相(人民党:旧プノンペン政権)の2名首相制連立政権。シハヌーク国王を国家元首とする新生「カンボジア王国」が誕生。
1997年 首都プノンペンで両首相陣営武力衝突。ラナリット第一首相失脚。
1998年 第二回国民議会選挙。第一次フン・セン首班連立政権。ポル・ポト死去。
1999年 上院新設(二院制へ移行)。ASEAN加盟。
2003年 第三回国民議会選挙。
2004年 第二次フン・セン首班連立政権発足。シハヌーク国王引退、シハモニ新国王即位。WTO加盟。ASEM参加決定。
2006年 第一回上院議員選挙。
2008年 第四回国民議会選挙。第三次フン・セン首班連立政権発足。
2012年 第二回上院選挙(二回目)。
2013年 第五回国民議会選挙。第四次フン・セン首班連立政権発足。
2018年2月 第三回上院選挙。
2018年7月 第六回国民議会選挙。第五次フン・セン首相首班政権発足。

                   出所:日本国外務省

 

■政治体制 ➡ 立憲君主制

[元首]

ノロドム・シハモニ国王(2004年10月即位)

カンボジアでは国王は象徴的な存在であり、実質的な政治権力は有さないことになっています。

 

[概要]

カンボジアでは1975年からのポル・ポト政権、1979年からのヘン・サムリン政権で社会主義を採用していました。しかし、1993年以降は国王を元首とする立憲君主制の国となり、資本主義の国となります。現在の政権は、人民党とフンシンペック党の連立政権であり、国会は上院と下院の両院制を採用しています。議員は直接選挙によって選ばれることになります。憲法では立法、行政、司法の分立を定めています。

 

[首相]

カンボジア人民党の党首フン・セン氏が首相を長く務め続けています。在任期間は30年を超え、世界的な長期政権となっています。

 

[行政組織]

・ 内閣官房を頂点として、その下に25省2庁、加えて国民議会事務局と国立銀行が配置されています。

 

・ 内閣

内閣は首相を頂点にして,以下、副首相、国務大臣、大臣、長官で構成されています。議院内閣制を採用しており、2005年3月から現在まで人民党のフン・セン首相が、行政を運営しています。なお、以下の手順に従って組閣します。

 

①下院選挙後、下院議員の3分の2以上の多数で下院議長と副議長を選出します。

②下院議長の推薦及び下院両副議長の同意を得て国王が首相候補を指名します。

③指名された首相候補は大臣名簿を下院に対して示し内閣の信任を求めます。

④信任されると、国王は全閣僚を任命する勅令を出します。

 

・ 立法

立法機関として二院制の国会があります。国民議会(The National Assembly下院)と上院(The Senate)から構成されます。

 

・ 選挙権及び被選挙権

国政選挙は、下院議員選挙、上院議員選挙の2つあります。選挙は比例代表制で実施されます。選挙権は18歳以上、被選挙権は下院の場合25歳以上、上院の場合40歳以上のカンボジア国民に与えられます。

 

なお、カンボジア人民党はフンシンペック党と連立を組み、首相にフン・セン氏が選任されています。 

 

カンボジア王国は州(Province)と市(Municipality)に分割されます。州は郡(Srok/District)に、郡はコミューン(Khum/Commune)に細分されます。市は区(Khan/District)に、区はサンカット(Sangkat)に細分されます(憲法第145条)。州・市、郡・区、コミューン・サンカットにおいては、憲法により法律に基づく行政が求められています(憲法第146条)。地方行政は国の出先機関である①州・市、②郡・区及び、2002年に新しく誕生した地方自治体である③コミューン・サンカットにより運営されています。なお、村は日本で言えば、町内会のようなものであり行政組織ではありません。

 

[総選挙の動向について]

カンボジアでは5年おきに国民議会選挙が行われています。主要政党は、与党の人民党、野党の救国党、この他にフンシンペック党があります。2013年の総選挙では、人民党が68議席、救国党が55議席を獲得しました。野党が躍進できたのは、野党が事前に公約した内容がカンボジア人の経済的利益に直結したものであったからと考えられます。しかしながら、2018年7月に行われた総選挙をめぐっては、フン・セン政権によって最大野党が解党に追い込まれるなど、公正な選挙の実施が懸念されていました。最終的には、最大野党不在のまま選挙が実施され、人民党が定数125の全議席を獲得しました。

 

[国会]

上院と下院の二院制で構成されています。

・上院について

上院は元老院とも呼ばれ、任期は6年、定数は62議席、議長はサイ・チュム氏(人民党副党首)です。

・下院について

下院は国民議会とも呼ばれ、任期は5年、定数は125議席、議長はヘン・サムリン氏(人民党名誉党首)です。

 

制度上、下院の優越が認められており、下院が可決した法律案を上院が否決したとしても、下院が再び過半数の賛成により可決すれば法律が成立します。

 

[国民議会(下院)] 

パリ和平協定締結後の1993年、国連の監視下で第一回の国民議会選挙が行われ、それによって国民議会(下院)が誕生しました。任期は5年であり、2018年現在までに6回の総選挙が行われています(1993年、1998年、2003年、2008年、2013年、2018年)。定員は憲法の規定により120名以上とされており、現在の下院には125名の議員が所属しています。下院は年に2回、会期3ヶ月以上の通常国会を開催するほか、国王、首相または3分の1以上の下院議員の要請により特別国会を開催することができます。なお、下院は議員総数の70%以上の出席で成立します。

 

[国民議会(上院)]

上院は1999年に設立されました。憲法により任期6年、定員は下院議員数の半数以下と定められています。現在の上院議員数は62名ですが、このうち2名は国王推薦枠です。なお、1999年の設立時に限り選挙は行われず、下院の議席占有率にほぼ応じた議席数を各政党に分配しました。上院は、下院が審議した事項を再審議する機関ですが、国家にとって重要な事項を審議する場合には両院共同で会議を開きます。

 

2008年の下院選挙(国民議会)により、カンボジア人民党が90議席を獲得し、圧倒的勝利を収めました。サム・ランシー党が26議席を得て、第2党となりその他民権党が3議席、フンシンペック党とノロドム・ラナリット党がそれぞれ2議席を獲得しました。2006年の上院選挙においては、カンボジア人民党が45議席、フンシンペック党が10議席、サム・ランシー党が2議席を獲得し、残る2議席は国王により指名されています。

 

2013年の国民議会選挙により与党のカンボジア人民党が90席から68議席に後退。カンボジア救国党が55席に躍進しました。しかし、2017年11月に最大野党であるカンボジア救国党が回答を命じられ、2018年国民議会選挙ではカンボジア人民党が定数125の全議席を得て圧勝し、事実上の一党独裁となりました。

 

■教育制度

カンボジアの教育制度は小学校(6年間)、中学校(3年間)、高校(3年間)、大学となっています。義務教育は日本と同様に中学校までの9年間となっています。

カンボジアの初等教育(6歳~11歳)の就学率は約77%となっており、他のアジア諸国にひけをとらない状態にまでなりました。しかし前期中等教育(12歳~14歳)の就学率は約42%、後期中等教育(15歳〜17歳)は学齢期人口の約20%にとどまっています。大学(高等教育)への就学率は、1.0%程度と推測されています。

1970年代の独裁政権下で、教員や教科書が極端に不足するなどの危機的状況となりました。独裁政権後、各国の支援を受けながら教育制度の復興が続けられています。しかし、教室や教員が不足しており、午前と午後の二部制授業や午前、午後、夕方以降の三部制授業となっている学校がほとんどです。

学習内容は、国語、算数、歴史、理科等が中心となり、美術、音楽、体育の科目はほとんど行われていません。中学校から外国語教育が行われており、英語か仏語を選択するようになっています。

 

義務教育以降は、高校(後期中等教育)や技術高校、職業訓練校に行くことができます。高校は15歳〜17歳、技術高校や職業訓練校は15歳~17歳または15歳~21歳で教育を受けています。

 

日本人や外国人が通う主な学校は、プノンペンにのみ学校が設けられています。主な学校としては、下記の3施設があります。

学校名 詳細
プノンペン日本人学校 [場所]

No. 205B, Street Lum, Group 5, Village Toek Thla, Sangkat Toek Thla, Khan Sen Sok, Phnom Penh, Cambodia

プノンペン中心部から空港の方へ向かう。車で約30分。

[学校]

2015年開校。

日本の文部科学省から在外教育施設として認定を受けている。

[教育課程]

日本の教育課程と同様。

[在籍児童生徒数]

約60名(2018年3月時点)

[授業での主要言語]

日本語

インターナショナルスクール・オブ・プノンペン

(International School of Phnom Penh, ISPP)

[場所]

プノンペン中心部から南に7キロ離れたところにある。

[学校]

国際教育機関(the Western Association of Schools and Colleges及びthe Council of International Schools)に加盟し、カンボジア人や外国人居住者を受け入れ、国際バカロレア・スクールとして認可されたインターナショナルスクール。

[教育課程]

International Baccalaureate(IB)の国際教育プログラムに基づき、下記プログラムが3歳から18歳までに用意されている。

Primary Years Program: 3歳~11歳

Middle Years Program: 11歳~16歳

Diploma Program: 16歳~18歳

またDiploma Program修了者は、IB修了証書が授与され、先進諸国の大学受験資格が付与される。

[在籍児童生徒数]

約700人(2017年10月時点)

[授業での主要言語]

英語

英語が第一言語でない生徒のために、EAL(English as an Additional Language)などの語学能力支援クラスが用意されている。

ノースブリッジ・インターナショナルスクール・カンボディア

(Northbridge International School Cambodia, NISC)

[場所]

在カンボジア大使館から車で約45分の距離にある。

[学校]

国際教育機関(the Western Association of Schools and Colleges)に加盟し、カンボジア人や外国人居住者を受け入れているインターナショナルスクール。

授業は米国の方式に準じたカリキュラムとなっており、米国ほかの大学に進学する資格を得ることができる。

[教育課程]

3歳から18歳まで就学環境が用意されている。

Nursery(保育園): 3歳

Pre-Kindergarten~Kindergarten(幼稚園): 4歳~5歳

Grade1~6(小学校): 6歳~11歳

Grade7~8(中学校): 12歳~13歳

Grade9~12(高校): 14歳~17歳

[在籍児童生徒数]

約300人(2017年10月時点)

[授業での主要言語]

英語

 

■政治・経済動向

長期に渡る内戦により、カンボジアの経済はその発展を妨げられてきました。世界銀行により、支援重点国である脆弱国(Fragile Countries)に指定され、経済的には最貧国の一つに位置付けられています。

しかし、2004年の第三回国民議会選挙による第二次フン・セン首班連立政権の発足や、シハモニ新国王の即位を経て、内政は安定し着実に発展を遂げています。その証拠に、2004年から2007年までの間、GDP成長率は二桁の伸びを記録し縫製業や観光業のほか建設業や農業が経済を支えています。内戦や政治的腐敗のイメージが強いカンボジアですが、暴動やテロも少なく、今では東南アジアで最も政治的に安定していると言われるようになりました。

 

このように急成長した経済ですが、2008年の世界的な金融危機の影響はカンボジアも受けることになり、2009年のGDP成長率は0.09%となりました。しかしながらそれ以降の年に関しては、2011年には7.07%となり、2016年に6.95%と7%を下回るまで、毎年7%を超える成長率で推移しており、急激に経済は成長していると言えます。また、2017年のGDP成長率は6.82%で、過去6年間と同水準の成長率を記録しました。

 

■日本とカンボジアの関係

日本とカンボジアの関係は、古くは江戸時代にまで遡り、当時既に日本人村が形成されていたといわれています。

特に内戦により疲弊したカンボジアにとって、外国からの経済支援は復興のカギでした。そんな中、日本は積極的なODAや民間レベルでの支援を行い、多大な貢献をしました。1992~1993年にはPKO法に基づき、日本にとって初めてとなる要員派遣が実施され、復興や内政安定を目的として活動を行いました。

2009年は、日メコン交流年であり、日本とカンボジアを含むメコン諸国との間で様々な交流事業を行い、同年10月、カンボジアはシアムリアップにおいて第2回日メコン外相会議を主催しました。

 

2010年は日本カンボジア友好条約調印55周年にあたり、同年5月に、日本は、ノロドム・シハモニ国王を国賓として訪日招待しました。同国王は、天皇皇后両陛下との御会見、宮中晩餐、鳩山総理主催午餐会等の行事に出席し、その後京都を訪問しました。

 

2011年はパリ和平協定20周年に当たります。

 

カンボジア国立銀行と日本の金融庁が書簡交換

2005年6月10日、経験及び専門知識の交換に関する書簡交換を行いました。

本書簡の交換は、世界の金融市場のグローバル化を踏まえ、健全な金融規制の仕組み及び金融市場の発展のため、協力関係を強化します。

 

本書簡の交換に基づき、各々の国における法律・規制枠組みや金融市場の発展を促進させるために、情報交換を行っていきます。

 

カンボジアにとって、日本は最大の経済支援国であったこともあり、カンボジア国民にも認知されていることから、街では親日的な雰囲気を感じることができます。日本の対カンボジア援助実績は累計で、2016年までに円借款1,168.16億円、無償資金協力1,972.40億円、技術協力870.68億円に及んでおり、以降も良好な関係が続くと思われます。

 

■在留邦人

在カンボジア日本国大使館によれば2019年現在の在留邦人の数は約4,000人を超え、2010年度の889人という調査結果を考えれば、著しく伸びています。今後、ますますカンボジアの経済が発展していくと共に、在留邦人の人数も増加していくと考えられます。

 

参考文献

・ Climatetemp

・ カンボジア国家統計局2008年国勢調査

・ THE WORLD BANK

・ Cambodia Micro Finance Project

・ カンボジア王国投資ジャーナル

・ 外務省『カンボジア情勢と日カンボジア関係』

・ 内閣府国際平和協力本部事務局『カンボジア国際平和協力業務』

・ 外務省『カンボジア王国 基礎データ』

・ 自治体国際化協会

・ プノンペン日本人学校:http://www.jacam.cc/jspp/