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第1章 ブラジル-基礎知識

基礎知識

■正式国名 → ブラジル連邦共和国

英語名:Federative Republic of Brazil
ポルトガル語名: República Federativa do Brasil
現在の国号であるブラジルは、常緑高木の名称であるパウ・ブラジル(日本語名:ブラジルボク)に由来しています。当初は、1500年にポルトガル・インド遠征隊長であるペドロ・アルヴァレス・カブラルが漂着した際に、「ヴェラ・クルス(真の十字架)島」と名づけられましたが、ポルトガル王マヌエル1世の時代に「サンタ・クルス(聖十字架)の地」と改名されました。
その後、当時ポルトガルで塗料として使われていたパウ・ブラジル(赤い木)の輸出が盛んに行われるようになり、「ブラジル」と呼ばれるようになりました。
  

■国旗

ブラジルの国旗は、「金」と「緑」の旗という意味があり、アウリヴェルジ(Auriverde)と呼ばれています。国旗の原型は18891119日に制定されたデザインで、その後数回細部の変更が行われ、1992511日より現行のデザインとなっています。
緑は林業と農業、黄色は鉱業を象徴していると解釈されており、中央にある青い球体は、無血革命で帝政から共和制へと変わった18891115日のリオデジャネイロの空を表しています。球体内に描かれている27個の星は、それぞれブラジル連邦共和国を構成する26州と1連邦直轄区(ブラジリア)を表しています。
また、中央には白い帯で「ORDEM e PROGRESSO」と書かかれていますが、これはポルトガル語で「秩序と進歩」を意味し、フランス人哲学者のオーギュスト・コントの言葉を引用したものです。 
 

■面積・国土 → 8,511,965㎢ (日本の約22.5倍/世界第5位)

ブラジルの国土面積は、世界5位の約851万㎢となっており、これは日本の約225倍、南米大陸の約473%になります。ブラジルの地理は、北部・中部・南部に分けることができます。
観光で有名な地域としては、北部のアマゾン河流域と、南部のリオデジャネイロ、同じく南部のパラナ州イグアスの滝などが挙げられます。
北部地方には、アマゾン河流域とブラジル高原があります。 アマゾン河流域は、ブラジルの最高峰ネブリナ山(3014m)をもつギアナ高地を除けば、海抜200m以下の平野です。その中央に流れているのが、世界最大の流域面積をもつアマゾン河で、その流域面積は、約650万㎢にもおよびます。冬の間に2カ月程度雨が少ない時期がありますが、北部の中でも特にこの地域は年中雨で、また高温の気候下にあるため、アマゾン河流域には熱帯雨林が広がっています。
中部地方には、地球上で自然が原始時代の姿のままほとんど無傷で保存されているジャラポンと呼ばれる地域があります。ジャラポンは、トカンチンス州に位置しており観光名所として知られています。また、産業面では豊富な水資源を利用したラジェアド水力発電や、水浴客を対象とした観光業が盛んになっています。
南部地方には、カーニバルで有名なリオデジャネイロや、世界3大瀑布の1つとして、有名なイグアスの滝があります。外資系企業、日系企業の進出が最も多いサンパウロも南部地方にあります。日本人駐在員は、サンパウロ市の中心部であるパライーゾ、ジャルジン・パウリスタ、セルケイラ・セーザル、ベラ・ヴィスタ地区に多く居住しています。

■首都 → ブラジリア

ブラジルの首都は、ブラジリアです。ブラジリアへは、19561月、当時の大領領であるジュセリーノ・クビチェック大統領の発案したリオデジャネイロからの遷都計画が実行され、1960421日に遷都されました。もともとは何もない未開の土地でしたが、内陸部の開発と、それによる国土の均衡のとれた発展の為に計画的に建設された計画都市となっており、2010年時点では、人口約260万人を擁する大都市となっています。
 

■気候 

ブラジルは南半球に位置していることから、国土の約90%以上が熱帯地域となっています。その中でも、熱帯性気候、亜熱帯性気候、半砂漠型乾燥気候、高地の亜熱帯性気候、温帯性気候の5つに分類することが出来ます。大西洋沿岸は全体的に温暖なため、リオデジャネイロやレシーフェなどのリゾート地として多くの観光客が訪れます。暦上の季節は、夏が11月から4月、冬は5月から7月となっています。
サンパウロ、ブラジリアのような高原都市は、ブラジルの中でも温暖地域に分類され、平均気温は19℃程度です。リオデジャネイロ、レシッフェ、サルヴァドールのような海岸地帯は、気温が高く、ポルトアレーグレやクリチーバといったブラジル南部は欧米の気候と似ており、冬に気温が零下になることもあります。
 
[ブラジリア]
ブラジル中部に位置するブラジリアやパンタナールがある内陸部には、雨期と乾期があり、乾期には湿度が数パーセントしかなく、とても乾燥した日が続きます。
 
[マナウス]
ブラジル北部に位置するマナウスやベレンの熱帯地域は、年間の気温が24℃から35℃であり、年間通して暑い地域といえます。
 
[リオデジャネイロ]
ブラジルのやや南部に位置するリオデジャネイロは、亜熱帯地域のため、12月から2月が1年で最も暑く、また雨もよく降ります。ブラジル南部において、夏は特に雨が多い時期といえます。リオデジャネイロが位置する大西洋地域の平均気温は23℃から27℃です。
 
[サンパウロ]
サンパウロから南は温帯に近い亜熱帯地域となり、リオデジャネイロと同様、1月と2月が1年で最も暑い時期であり、また雨が多く、降水量は日本の梅雨よりもはるかに多くなっています。リオデジャネイロに比べて年間3℃から5℃平均気温が低く、冬もある程度冷え込む日が続きます。一般的なブラジルの高原地帯の平均気温は18℃から21℃です。
出所:Maps Guides
 

■時差 →  -12時間から-14時間

ブラジルは東西間で2時間の時差があり、国内でも3つの時間帯に分かれています。リオデジャネイロやサンパウロは日本より12時間遅れであり、真反対の土地といえます。北西部に位置するマナウスは13時間の遅れ、また、ペルーとの国境付近にあるリオブランコは14時間の遅れがあります。
ブラジリア、サンパウロ、リオデジャネイロなどは10月の第2日曜から2月の第3日曜にかけて、サマータイムを採用しており、時差が1時間縮まります。マナウスがあるアマゾナス州においては、サマータイムを採用していません。
 

■人口 → 約210,147,125人 (IBGE ブラジル地理統計資料院 2019年12月末現在)

ブラジル地理統計院によれば、2006年のブラジルの人口は約18800万人で中国、インド、米国、インドネシア、ロシアに次ぐ世界第6位でした。しかし、2009年には約19325万人に増加し世界第5位に上昇、2010年調査では19500万人、20117月時点において、人口は2億人超、人口増加率は1134%と推計されています。
ブラジル地理統計院によれば、2006年のブラジルの人口は約18800万人で中国、インド、米国、インドネシア、ロシアに次ぐ世界第6位でした。しかし、2009年には約19325万人に増加し世界第5位に上昇、2013年調査では2億人を超え、2019年調査で約2962万人と報告されています。
                                        【人口ピラミッド(2015)】(単位:100万人)
 
出所 :United States Census
 

■言語 → ポルトガル語

ブラジルにおける公用語はポルトガル語であり、殆どのブラジル国民が母語としてポルトガル語を使用しています。なお、ブラジルで使われているポルトガル語はアフリカや多彩な異文化の影響を強く受けているため、文法ルールに縛られない口語的な文法が多く取り入れられており、一般的にブラジル・ポルトガル語といわれています。本国ポルトガルにおけるポルトガル語とは発音や文法などが少し異なります。
また、外国諸国からの移民第1世代の中には、日本語・イタリア語・ドイツ語を使用するものも多くいたことから、2世以降・現在においてもこれらの言語を受継いでいる地域が存在します。
  

■通貨

使用通貨はレアルで、新聞等では、“R$”や“BRL”と記載されています。
正式には“Real“、複数形 ”Reais”と記載します。
紙幣は、1レアル、2レアル、5レアル、10レアル、20レアル、50レアル、100レアルの7種類が流通しています。しかし、100レアル紙幣は偽造防止のために市場流通量がとても少なく、使用されることは殆どありません。また、補助通貨単位としてセンターボ(Centavo)があり、1センターボ、5センターボ、10センターボ、25センターボ、50センターボと1レアルの6種類の硬貨がありますが、現在1センターボは殆ど使用されておりません。
1レアル/19.7603円(2020年6月30日現在/EX)為替制度は、19991月の通貨レアルの切下げ以降、完全変動相場制をとっています。
 【ブラジルレアルと日本円のチャート】(円/レアル)

■宗教

ブラジルは、世界で最も多くのカトリック信者を擁する国です。約12695万人がカトリックの信者で、これはブラジル全国民の約64.6%に相当します。ブラジルにおいて、国民の祝日の半分以上はキリスト教の祝日ですが、1012日の「アパレシーダの聖母マリアの祝日」のように、ブラジル独自の祝日も存在します。
1960年代までのカトリック信者は全国民の約93%、福音主義(プロテスタント)信者は約9%に過ぎませんでした。しかし、1970年代以降は福音主義信者が増加し、その割合は、2010年時点では全体の約222%を占めるまでになりました。
その他非キリスト教の少数宗教として、アフリカが起原であるアフロ・ブラジル宗教や、イスラム教があります。イスラム教は黒人奴隷であったアフリカのイスラム教徒によってもたらされましたが、現在では主にアラブ系ブラジル人よって信仰されています。アジアからも仏教・神道・道教など様々な新興宗教がブラジルにわたり、現在も少数ながら信仰されています。また、無宗教者の割合は1960年の05%から8%へ上昇しています。
          【ブラジルにおける宗教の割合】
 

政治体制と歴史

■政治体制 ⇒連邦共和制(26 1 連邦区)

元首 ジャイル・メシアス・ボルソナーロ(H.E. Mr. Jaor Messias Bolsonaro)

 

現ボルソナーロ大統領は、1955年3月22日生、サンパウロ州カンピーナス市出身、陸軍士官学校卒業後、1979年から88年まで陸軍軍人におり、最高位は大尉を務める。
[行政]
ブラジルの行政は、各省、各特別行政庁および軍から構成されています。大統領府のもとには23の省が存在し、また、省の格を有する庁が大統領府の補助機関として存在します。それぞれ責任者は国務大臣の格を有し、大統領の補佐を行います。
行政責任者は大統領であり、その元に選任された国務大臣や副大統領、文官庁(官房長官)、中央銀行総裁等の主要閣僚によって連邦政府を構成しています。大統領は国務大臣を直接指名し、また、随時解任することができます。
地方行政は、26州とブラジリア連邦直轄区(首都ブラジリア)の合計27の行政区で構成されています。連邦直轄区は、ブラジル連邦政府が直轄する区(連邦区)であり、他の26州と同格の存在となります。州の責任者は州知事であり、各州在住の有権者による直接投票によって選出されます。
連邦直轄区においても、26州の各州知事と同格の連邦区知事を責任者として選出し、その者はブラジリアの市長を兼任することになります。州知事の任期は大統領と同じ4年であり、就任期の次期のみ再任が認められ、最長任期は8年です。
各州は租税、都市計画、社会保障などの立法をおこなうことができますが、該当する連邦法がある場合は、連邦法が州法の規定に優先することになります。ブラジルは、大統領制連邦共和国として行政上、下記図の様に連邦政府、26州、5563の市町村によって成り立っています。
                                                      【ブラジルの地方自治】 
 
出所:JBIC
[国会]
ブラジルの立法は、上院(81議席)、及び下院(513議席)によって構成されている二院制です。下院議員は各州及び連邦首都区より選出され、各選挙区の定員数は8名から70名の範囲内で、それぞれの人口に基づいて割り出されます。下院議員の任期は4年で、有権者の無記名投票による直接選挙で選出されます。上院議員は各州及び連邦首都区よりそれぞれ3名選出されます。
上院議員の任期は8年で、有権者による直接選挙で選出されます。また、上院議員は4年ごとに定員の3分の127議席)あるいは3分の254議席)の改選が交互に行われます。選挙時期は下院議員選挙と同時に開催され、2014年の選挙では、3分の1が改選される予定です。

■ブラジルの主な歴史

ブラジルの基礎は、アメリカ大陸先住民の移住者によって形成されたといわれています。文書記録として残っている歴史では、1500年にポルトガル人によって発見され、その後およそ300年にも及ぶポルトガルによる植民地時代(1500-1808年)、ポルトガル王朝であるブラガンサ王朝皇帝による帝政時代(1808年―1889年)を経て、1889年より現在の共和政時代に至っています。
[植民地時代 (1500年-1808年)]
1500422日、第2回インド遠征隊を率いてインド洋に向かっていたポルトガル人のペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに漂着したことでブラジルは「発見」されました。本格的な植民は1530年から始まり、16世紀半ばにはカピタニアと呼ばれる14の世襲の行政区が定められました。このカピタニア制度はその後長く続き、近代ブラジルの基本的な領土区分及び政治基盤にも影響を及ぼしています。
その後、ポルトガル王を兼ねたスペインのフェリペ2世が1578年に即位したことでブラジルの開発はいったん中断されましたが、国際法に基づき1640年には再びポルトガルがブラジルの権利を掌握しました。
一方、1690年以降には金鉱の開発が始まり、ブラジル植民地のみならず当時のヨーロッパにも大きな影響を与えました。採掘された金はポルトガルの管理の下、リスボンに輸送され、最終的にはロンドンにたどり着いて産業革命に資金面から貢献しました。
また、18世紀にはコーヒーがフランス領ギアナから初めてブラジルにもたらされました。初期のコーヒー農園は、奴隷による労働力が豊富にあったリオデジャネイロの奥地にありましたが、19世紀後半の奴隷制の廃止及びヨーロッパからサンパウロ州への移民の流入などにより、土壌や気候、高度などがより好条件であるブラジル南部へと広がっていきました。その結果、ブラジルは世界最大のコーヒー生産国へと成長していくこととなります。
[独立・帝政時代 (1808年―1889年)]
1807年、フランスがポルトガルへ侵攻したことでポルトガル王室はブラジルへ亡命しました。182297日にはブラジルの独立が宣言され、ブラジル帝国が建国されます。王位に就いたペトロ1世は1824年、帝王神格化のタブーを破る、当時としては極めて進歩的な憲法を発布し、19世紀における政治的・社会的発展を推し進めました。
続くペドロ2世が1840年に皇帝に即位し第二帝政時代が始まると、二大政党制が確立されました。また新関税法が導入され輸入関税が引き上げられたことにより、工業化の基礎条件が構築されるなど、政治的、経済的に発展を遂げていきます。
しかし、発展の過程においてペドロ2世は国民からの支持を失い退位、イギリスへ亡命します。この無血革命により帝政が崩壊し、現在の共和制へ移行していきます。
[共和政~現在 (1889年―)]
18891115日、軍の革命により皇帝が退位すると共和制が樹立され、マヌエル・デオドロ・ダ・フォンセカがブラジルの初代大統領に就任しました。1891年に憲法が公布されると、正・副大統領の直接選挙、三権分立などが制定され、国名がブラジル合衆国に変更されます。
また、連邦制のもと帝政時代の地域区分は州に置き換えられ、上院、下院の二院制が制定されると同時に、完全に独立した最高裁判所が設立されました。また、州レベルでも中央政府と同様の政治基盤が置かれています。1930年までは、どの大統領も憲法に則った選挙により選ばれました。
ヨーロッパでの戦争終結後、1946年よりエウリコ・ドゥトラ将軍が大統領に就任し、三権分立と大統領直接選挙を定めた新憲法を制定しました。1955年には「50年の進歩を5年で」をスローガンに、ジュセリーノ・クビチェックが大統領選挙に出馬して当選し、ブラジル内陸部の発展促進を目的に、新首都ブラジリアの建設に着工します。しかしブラジリアに首都を移転したことで様々な経済的負担がかかり、1960年代から1980年代にかけてハイパーインフレが勃発し、ブラジル経済に大きな影響を与えることとなります。
1964年から1985年にかけては軍政が敷かれましたが、1979年以降、軍の政治的圧力は徐々に弱まっていきました。この期間に大統領になった5人は全て軍出身でした。反共産主義のうねりの中、政権に就いた初代大統領カステロ・ブランコ氏は、政治と経済を安定させるため、政府の権限と体制強化を目的として、広範な憲法改正を行いました。次期政権以降の15年間、すなわち1968年から1983年までには、いくつかの軍政令(事実上の大統領令)が打ち出されました。これらにより、個人と集団の多くの権利が奪われ、団体交渉は排除され、ストライキは違法となり、労働運動は制限されました。
その後新大統領の選出について直接選挙を求める声が全国規模で高まり、19851月、タンクレード・デ・アルメイダ・ネーヴェス候補が国会議員を中心とする間接選挙で大統領に選ばれました。次に大統領に就任したジョゼ・サルネイ氏は新憲法を立案する議会召集のための総選挙を行い、18ヶ月の審議の後、19881015日、新憲法が発布されました。この新憲法は権利保護、人種差別の禁止、非識字者の選挙権などが認められた民主的な内容になっています。
1995年にはカルドゾ大統領のもと、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイの4ヵ国によって南米南部共同市場(メルコスール:MERCOSUR; Mercado Común del Sur)が発足しました。南米南部共同市場の発足により、総人口約2億人、総GDP約1兆ドルの規模を有するブラジルの企業は、空前の成長を実現し、さらに、国営企業の民営化促進と経済の安定化を受けて、海外からブラジルへの投資、資金流入も数百億ドルに達することになります。
その後、2001年よりブラジルは成長しつつある新興諸国「BRICs(BrazilRussiaIndiaChina)」(現BRICSBrazilRussiaIndiaChinaSouth Africa)の一員として、国際社会の新たな舞台に立つこととなります。
2006年に行われた大統領選挙では労働者党のルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ氏が大統領に就任し、第二次ルーラ政権が発足、2007年には南米諸国連合が発足します。そして、2010年大統領選挙において、労働党候補としてジルマ・ルセフ氏が当選、201111日よりブラジル史上初の女性大統領が誕生。品化しながら、汚職問題を引き起こし、ジルカン・ルセフ氏は弾劾裁判により罷免することになった。

■日本とブラジルとの関係

1895年に日伯修交通商航海条約が結ばれ、同条約をもって正式に日本とブラジルの国交が始まります。1908年には、日本からブラジルへの集団移民があり、両国の関係は深まっていきます。太平洋戦争が始まると、両国の国交は一時的に断絶しますが、戦争終結後は和平条約により和解し、断絶前に増して両国の関係は良好なものとなっていきます。
1970年代には、「ブラジルの奇跡」と呼ばれる年成長率10%の高度経済成長期を受けて、日本企業のブラジル進出が盛んに行われました。しかし、その後のブラジルハイパーインフレや日本経済の悪化によって、日系企業の撤退が相次ぐこととなります。2008年に起こったリーマンショック後、ブラジルはいち早くその混乱から抜け出すことに成功し、経済の盛り返しが始まります。2010年には、両国間の社会保険料、年金等の問題解決に向けて、「日・ブラジル社会保障協定」が署名されています。
現在では、中国における海外投資リスクの増加や、ASEAN諸国の賃金の上昇などの背景もあり、資源大国として、また、BRICs随一の親日国として、ブラジルは多くの日系企業から注目を集めていたものの、ブラジルの経済的成長ならびに発展は長期的な目線で見ていく必要がある。

教育と教育システム

■Latest news and update

[ブラジルの教育システムについて ]

ブラジルの教育制度は、国家教育基本法により定められており、幼児教育から始まり、9年間の義務教育としての初等教育(Ensino Fundamental)、最低3年間の中等教育(Ensino Medio)、そして、高等教育(Ensino Superior)となっています。同法は、共通カリキュラムや授業内容などの適用についても規定しており、教育計画の指針にもなっています。

 

国家教育基本法(Lei de Diretrizes e Bases da Educacao Nacional)では、連邦政府によって、ブラジル全土で適用する共通カリキュラム、授業時間数、最低出席率、進級基準等を定めており、州、市町村によって、状況に応じた授業内容や学業日程等について定められています。

就学年齢基準日はその年の731日となっており、この日までに満6歳になる子どもが、同年の29日に初等教育の第1学年に入学することになります。ブラジルの学校年度は、29日から1222日までであり、その内最低200日間の授業があり、7月には9日間の冬季休暇があります。

また、1988年憲法第206条に公教育の無償が規定されており、国立、州立、市町村立の公立教育機関は幼稚園から大学まで学費が無償となっています。

 

 

幼児教育(Educacao Infantil

幼児教育は、0歳~3歳の保育園、45歳の幼稚園、プレスクールがあり、国家カリキュラム教育指針により、幼児期にある子供の主体的発達を促進する教育と位置づけられています。

それぞれ私立と公立があり、公立は市教育局が管理運営し、無償で提供する義務があると定められていますが、多くの市では予算不足により、教育機関数が十分に足りているとは言えない現状があります。その為、私立の保育園、幼稚園は年々増えており、預ける時間帯も非常に柔軟に対応しているところも多くあります。

 

 

初等教育(Ensino Fundamental

 

初等教育は、義務教育となっており、以前までは8年間でしたが、06年に法律11.274号により、9年間に延長されました。従って、すべての国民は9年間の初等教育を受ける必要がありますので、ブラジルの初等教育の就学率は比較的高いといわれています。

 

また、公立校の学費は無料であり、教科書は支給され、給食も無料です。授業は平日半日のみであり、1日に2部、3部制を取っています。しかしながら、低所得者層の児童に焦点をあてると、留年率や退学率はいまだ高く、働きながら就学している生徒が多いことが理由に挙げられます。

 

授業内容は、2006年に制定された国家カリキュラム指針により、最初の4年間は社会科、自然科学、ポルトガル語の共通科目が中心の授業となり、残りの5年間は、必修外国語科目である英語かスペイン語に、選択科目の体育、宗教、保健などの授業が組み込まれています。

 

 

中等教育Ensino Medio

 

中等教育には、普通科と専門科があり、普通科は3年、専門科は4年となっています。普 通科の他に技術学校(escola técnica)、基礎学校教育教員養成のためのノーマル・スクール(Escolas Normais)があります。 ブラジル地理統計院の調査によると、15歳から19歳までの人口は2015年に1749万人おり、その内1382万人(79%)が中等教育に就学しています。

 

また、働きながら夜間に通学する生徒も多く、所得階層別にみると、最下層の子どもの就業率は最上層の半分以下の水準となっています。

 

 

高等教育(Ensino Superior

 

一般大学は18歳から21歳までの4年間であり、医科系は6年、工学・法学系は5年となっています。大学には単科大学と総合大学があり、修士課程・博士課程への進学が可能となります。公立大学は、州立サンパウロ大学、州立カンピナス大学、国立リオ・グランデ・ド・スル大学などが有名であり、これら公立大学の教育水準は非常に高く、入学試験もかなりのハイレベルとなっています。その為、多くの中所得者層の子どもは、公立に比べて教員の待遇がよく、授業の質も高い私立の高校に通学するか、または予備校や塾などに通い、高い教育を受けた生徒が大学受験を経て、公立大学へ進学するケースが多くなっています。一方、私立大学は公立大学と比べ教育水準は低く、さらに授業料も高くなっています。

 

結果として、所得によって高等教育への進学率に影響され、さらに格差が生まれてしまう為、「全国民向け大学教育提供プログラム」(ProUni: Programa Universidade para Todos)により、低所得層の志願者に学費の半額、または一部を免除する等、学問を受ける機会も用意されています。

 

 

 

■教育制度 → 「934 制」を採用

ブラジルの教育制度は、国家教育基本法により定められており、幼児教育から始まり、9年間の義務教育としての初等教育、最低3年間の中等教育、そして、高等教育となっています。同法は、共通カリキュラムや授業内容などの適用についても規定しており、教育計画の指針にもなっています。なお、就学年齢基準日はその年の731日となっており、この日までに満6歳になる子供が、同年の214日に初等教育の第1学年に入学することになります。
ブラジルの学校年度は、214日から1216日までで、その内最低200日間の授業があり、7月には21日間の冬季休暇があります。
1988年憲法第206条に公教育の無償が規定されており、国立、州立、市町村立の公立教育機関は幼稚園から大学まで学費が無償となっています。2005年の国勢調査では、全教育機関合計で207,234ヶ所あると発表されています。
                                       【ブラジル教育基本モデル】
すべての国民は9年間の初等教育を受けなければならず、ブラジルの初等教育の就学率は比較的高いといわれています。この義務教育期間は、2006年に制定された国家カリキュラム指針により、これまでの8年間から1年延びて9年間に拡大されました。この規定によると、最初の4年間は社会科、自然科学、ポルトガル語の共通科目が中心の授業となり、残りの5年間は、必修外国語科目である英語かスペイン語に、選択科目の体育、宗教、保健などの授業が組み込まれています。
ブラジルでは、初等教育から中等教育の進学率は、男性が75%、女性83%と高いものになっています。 高等教育においては、「全国民向け大学教育提供プログラム」により、奨学金の支給等を通じて学問を受ける機会が用意されています。
都市部と地方との貧富の差が懸念されている南米諸国ですが、若年層の識字率は全体的にとても高く、ブラジル、アルゼンチン、ボリビア、チリ、コロンビア、パラグアイ、ウルグアイ、ペルー、コロンビア、ベネズエラを含めた平均識字率においては、男女ともに96%以上となっています。
ブラジルだけ見ても、15歳から24歳までの若年層における識字率は、男性が97%、女性が99%であり、先進国並みの高水準となっています。これは、ブラジル教育省が実施する「識字ブラジルプログラム」の成果であり、このプログラムは、地方出身者や中高年を対象とした文盲撲滅対策となっています。
ブラジルには、職業教育や科学技術教育に関する連邦教育機関も存在し、ブラジル経済の各産業分野、各研究分野の必要性に応じた専門家を養成しています。また、教育機関(特に不足している物理、化学、生物学等の分野)における教員を輩出できる程の、世界的に評価される研究拠点の設置も目指されています。

参考文献

・ 国際協力銀行「ブラジルの投資環境」
・ 三菱東京UFJ銀行「投資ガイドブック」
・ CIAThe World Factbook