第1章 南アフリカ-基礎知識

基礎知識

■正式国名

南アフリカ共和国

英語表記:Republic of South Africa

アフリカーンス語表記: Republiek van Suid-Afrika

 

■国旗

1994年にアパルトヘイトが終わり、マンデラ政権が誕生した際に、公募により選ばれ制定された国旗です。

汎アフリカ色でマンデラが率いてきたアフリカ民族会議(ANC)の旗の色でもある黒・黄・緑の3色と、旧宗主国のイギリスとオランダの国旗にある赤・青・白の3色が、Y字に統合され一本の道となるようデザインされています。赤は歴史で流された血の犠牲、青は二つの大海と空、緑は豊かな自然と農場、黄は金などの地下資源、そして黒と白には黒人と白人の平等と平和を表していると言われています。

 

■面積・国土

約122万平方キロメートル(日本の約3.2倍)

 

アフリカ大陸の最南端に位置し、北にナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、東にモザンビーク、スワジランドと国境を接し、レソトを内に囲む形となっています。西側は大西洋、南から東南はインド洋に面して、全長2,500kmもの海岸線を有します。

国土は平野、高原、砂漠、森林など多彩な様相を示しています。南西部の海岸地帯には平野がありますが、内陸部には標高1,200mほどの平坦な高原が広がります。また、西部はナミブ砂漠やカルーと呼ばれる乾燥した高地、北西部にはカラハリ砂漠、南東部には標高2,000m~3,000mのドラケンスバーグ山脈が連なります。

 

【南アフリカの地図】

  出所:旅のともZen Tech

 

■首都

プレトリア(ツワネ都市圏)

 

南アフリカでは、行政府がプレトリア(ツワネ都市圏)、立法府(国会)がケープタウン、司法府(最高裁判所)がブルームフォンテーンの3都市に分かれて設置されています。一般的には、行政府があり各国大使館が置かれているプレトリア(ツワネ)が首都とされています。

プレトリアは、北東部の内陸地ハウテン州にあり、最大都市ヨハネスブルグの北50㎞ほどに位置します。行政区分としてはツワネ都市圏にあたり、都市圏域人口が300万人を越える大都市です。

プレトリアの市名の起源は、イギリス植民地支配に抵抗したアフリカーナ―(オランダ系移民)のアンドリース・プレトリウスにあり、歴史的にアフリカーナ―が多い都市で、現在も白人の割合が7割弱と圧倒的に高く、アフリカーンス語が多く使われています。鉄鋼業、自動車、機械などの重工業が盛んな工業都市でもあります。

 

■人口 

5,449万人(2015年 国連推計)

 

南アフリカは、サブサハラではナイジェリア、エチオピア、コンゴ共和国に次ぐ人口を擁します。

近年は合計特殊出生率(2010年~2015年)が2.4、人口増加率が1.2% (2003年~2013年)と落ち着いており、人口ピラミッドは富士山型(ピラミッド型)から釣り鐘型へと移行しつつあるところです。そのため、生産年齢人口(15歳~59歳)比率が63.0%(2015年)と高く、経済成長に最適な「人口ボーナス期」にあると言えます。

しかし、アパルトヘイト撤廃前後に豊かな白人層の海外流出が続いたことや、HIVの感染率が18.9%と高留まりしていることなどにより、平均寿命は1990年代よりも下がっています。保健施策の実効性が、今後の人口動態に大きく影響すると言われています。

 

【南アフリカの人口ピラミッド(2016年)】

出所:United Stated Cens us

 

■気候

南アフリカは中緯度に位置するため四季はありますが、南半球ですので日本とは逆転しており、5月から9月が冬季、10月から4月が夏季です。

気候は一年を通じて比較的温暖な地域が多く、「太陽の国」と言われるほど晴天の日が多いため、日照時間が長いのが特徴です。国土の多くが高地にあるため内陸では冷涼なところもあり、ドラケンスバーグ山脈のような高山では雪も積もります。沿岸部では海流の影響を受け、東部では夏には雨が降り、南西部ではあまり降りません。

 

[ ヨハネスブルグ ]

標高1740m前後の高地にあり、乾燥気味の気候です。年間700㎜程度の雨量ですが、5月~9月の冬季にはほとんど雨は降らず、10月~4月の夏季には突発的な豪雨があり雷をともなうことも多いです。

 

【ヨハネスブルグの気候】(単位:℃ ㎜)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
最低気温 14.7 14.1 13.1 10.3 7.2 4.1 4.1 6.2 9.3 11.2 12.7 13.9
最高気温 25.6 25.1 24.0 21.1 18.9 16.0 16.7 19.4 22.8 23.8 24.2 25.2
降水量 125 90 91 54 13 9 4 6 27 72 117 105

出所:World Meteorological Organization

 

[ ケープタウン ]

南西部の大西洋に面したケープタウンは、冬は温暖で降雨もあり、夏は気温があがり乾燥する地中海気候帯に属します。

 

【ケープタウンの気候】(単位:℃ ㎜)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
最低気温 15.7 15.6 14.2 11.9 9.4 7.8 7.0 7.5 8.7 10.6 13.2 14.9
最高気温 26.1 26.5 25.4 23.0 20.3 18.1 17.5 17.8 19.2 21.3 23.5 24.9
降水量 15 17 20 41 69 93 82 77 40 30 14 17

出所:World Meteorological Organization

 

[ ダーバン ]

東部の太平洋に面したダーバンは、暖流のモザンビーク海流の影響で年間通して温暖で、雨量も南アフリカの中では多い地域です。

 

【ダーバンの気候】(単位:℃ ㎜)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
最低気温 21.1 21.1 20.2 17.4 13.8 10.6 10.5 12.5 15.3 16.8 18.3 20.0
最高気温 27.8 28.0 27.7 26.1 24.5 23.0 22.6 22.8 23.3 24.0 25.2 26.9
降水量 134 113 120 73 59 28 39 62 73 98 108 102

出所:World Meteorological Organization

 

 

■時差

-7時間(UTC +2)

全土統一時間帯で、日本時間マイナス7時間が南アフリカ時間です。例えば、日本時間の正午は、エジプトでは午前5時、日本時間の午後7時がモロッコの正午にあたります。

サマータイムは導入していません。

 

■通貨

ランド→(略:R)

1=7.23円(2016年5月13日現在)

通貨単位はランドで通貨記号はR、補助通貨はセントで通貨記号はcと書きます。100セントが1ランドとなります。紙幣はR10、R20、R50、R100、R200の5種類。硬貨はR1、R2、R5と5c、10c、20c、50cの計7種類です。

なお、共通通貨地域であるスワジランド、ナミビア、レソトでも同じ通貨が使用されています。

 

■民族

南アフリカの民族はとても多様です。また、植民地支配による搾取や奴隷労働、アパルトヘイトによる人種隔離・差別が制度的に行われた歴史を持ち、民族問題は複雑です。

現在は、大きくわけると4つの民族グループからなり、黒人が80.2%、カラード(混血)が8.8%、白人が8.4%、アジア系2.5%(2014年CIA予測)という割合です。

 

[ 黒人 ]

南部アフリカ地域の先住民族であるズールー人、コサ人、ソト人、ツワナ人など多くのバントゥー系民族からなります。しかし、黒人が一つの民族集団というわけではなく、アパルトヘイト撤廃以降は民族間の対立が顕在化するなどの新たな課題も生まれています。

 

[ 白人 ] 

アフリカーナ―(オランダ系など)と、アングロアフリカン(イギリス系)がほとんどで、その他少数ですがポルトガル系、ユダヤ系などもいます。アパルトヘイト撤廃以降、アフリカーナ―は海外流出により減少しており、アングロアフリカンは増加傾向にあります。

 

・アフリカーナ―

17世紀にオランダによる「ケープ植民地」の支配にともない、オランダ(一部、フランス、ドイツなど)から宗教対立の時代に入植したプロテスタント教徒の移民をルーツとし、多くがアフリカーンス語を母語としています。

 

・アングロアフリカン

18世紀後半にイギリスが植民地化してから入植し始めたイギリスやアイルランドからの移民をルーツとし、英語を母語としています。

 

[ カラード ]

17世紀に入植したオランダ系移民と先住民族のサン人やコイコイ人、アジアから奴隷として連行されたマレー人などとの間に生まれた子孫を指します。南アフリカ東部の北ケープ州、西ケープ州に多く、アフリカーンス語を母語としています。

 

[ アジア系 ]

炭鉱やサトウキビ農園の労働者として移住してきたインド系移民の子孫が約100万人いるとされ、その多くがダーバンなどクワズール・ナタール州に住んでいます。

また、近年は中国系移民も増加していると言われています。

 

■言語

公用語(11言語)→ 英語、アフリカーンス語、ズールー語、コサ語、北ソト語(ペディ語)、ツワナ語、ソト語、ツォンガ語、スワジ語、ヴェンダ語、南ンデベレ語

 

先住民である黒人はズールー語、コサ語などバントゥー語系の様々な言語を母語としていました。オランダ人などの入植により、オランダ語をベースとしてローカルに発展したアフリカーンス語の話者が増え、その後のイギリス植民地時代に英語がもたらされ、多様な多言語社会となりました。

アパルトヘイト時代には、英語とアフリカーンス語の2つのみが公用語でしたが、アパルトヘイトが終了した1994年にバントゥー語系の9言語が加わり、公用語は11言語にもなりました。

母語として話す人口比率は、ズールー語22.7%、コサ語16%、アフリカーンス語13.5%、英語9.6%、北ソト語(ペディ語) 9.1%、ツワナ語8%、ソト語7.6%、ツォンガ語4.5%、スワジ語2.5%、ヴェンダ語2.4%、南ンデベレ語2.1%(2011年 CIA予測)で、英語やアフリカーンスよりもバントゥー語系言語のほうが多いです。

ズールー語は東部クワズール・ナタール州に多く、コサ語は南部の東ケープ州、アフリカーンス語は西部の西ケープ州と北ケープ州に多いなど、地域的特徴が顕著にあります。また、バントゥー語系言語の話者はほとんどが黒人ですが、アフリカーンス語は白人の6割やカラードの7割強が母語とし、イギリス系白人やインド系が英語を母語としているなど、民族的な特徴もあります。

アパルトヘイト時代の差別の象徴とされているためアフリカーンス語は話者数も社会的な位置づけも低下しており、ビジネスシーンなどを中心として英語が事実上の公用語と認識されており、黒人の英語話者も増加していると言われています。

 

 

■宗教

南アフリカでは、キリスト教徒が国民の約8割を占めています。アフリカ独立教会のひとつであるザイオニスト教会、メソジスト系のペンテコステ・カリスマ派、オランダ改革派、イギリス国教会である聖公会など、歴史的な背景によりプロテスタントが最も多く36.6%を占め、ローマ・カソリックは7.1%です。また、その他のキリスト教の諸宗派が36%を占めており、宗派やその分布は多様で、キリスト教と土着の伝統的な自然崇拝が融合されたものが多く存在します。

また、少数ですがイスラム教徒、インド系のヒンドゥー教徒、ユダヤ教徒などもいます。宗教の自由は憲法で保障されています。

 

政治体制と歴史

南アフリカの政治体制

共和制(大統領制)[政治体制] 

[元首]  

ジェイコブ・ゲドレイーシュレキサ・ズマ大統領

2009年就任、2014年再任(任期5年 3選禁止)

 

[国会] 

二院制

・全国州評議会(上院)  定員:90議席

・国民議会(下院) 定員:400議席

 

[政府]

副大統領 シリル・ラマポーザ副大統領

外相  マイテ・ヌコアナ=マシャバネ国際関係・協力相

 

 

1994年にアパルトヘイトが撤廃され、白人のみが有していた参政権をすべての人種が獲得しました。アパルトヘイト撤廃以降に、1994年、1999年、2004年、2009年、2014年の5回総選挙が行われ、反アパルトヘイトの闘争の中心となっていたアフリカ民族会議(ANC)が7割近い得票を獲得し続けています。アフリカーンスの政党である民主同盟(DA)や、共産主義政党である経済的自由戦士(EEF)なども少数ながら存在しており、複数政党制は守られています。大統領は国民議会で選出されます。

前ムベキ政権時の副大統領だったズマ大統領が2009年に就任し、2014年に再選され現在2期目在任中。

南アフリカの歴史

 [ ケープ植民地の誕生 ](17世紀~ )

オランダ東インド会社が、アフリカ南部のケープ地方に中継基地を建設したことにより、ボーア人(オランダ人)プロテスタントの農民らの入植が始まりました。宗教的弾圧を受けていたフランスの清教徒の移住、アジアのマレー半島からの奴隷の連行もありました。先住民であるコイコイ人やサン人は土地を奪われ、入植者や先住民などの混血が進みカラードという新たな民族集団が誕生しました。

 

[ イギリス人の入植と「グレート・トレック」 ] (18世紀~19世紀)

18世紀後半、軍事力に勝るイギリスがケープ植民地を占領、1814年にオランダからイギリスに正式移譲されます。イギリス人の移民が始まり、英語が公用語となり、イギリスの諸制度が導入されると、英語を母語としないボーア人はアフリカーナーと自称し、イギリス人(アングロアフリカン)との対立が起きました。

奴隷制度によって成り立っていたアフリカーナーの農場経営は、1834年に奴隷制度が廃止されたことにより行き詰まります。1835年、アフリカーナー集団が新天地を求めて内陸への大移動「グレート・トレック」を開始します。その後、各地の先住民と衝突をしながらも、ナタール共和国、トランスヴァール共和国、オレンジ自由国といった国々が各地で自治独立しました。

 

[ 地下資源の発見とアングロ・ボーア戦 ] (19世紀後半~20世紀前半)

19世紀後半には、オレンジ自由国でダイヤモンド鉱山、トランスヴァール共和国で世界最大級の金鉱山が発見されると、採掘権をめぐってボーア人(アフリカーナー)とイギリス人(アングロアフリカン)との争いとなります。

第1次・第2次アングロ・ボーア戦争を経て、オレンジ自由国とトランスヴァール共和国がイギリス支配下となり、1910年にイギリスの自治領として南アフリカ連邦が成立しました。

 

[ アパルトヘイト時代 ]  (1940年代~1980年代)

1948年、アフリカーナーを支持基盤とする国民党の政権となり、アパルトヘイト政策を進めます。「異人種間結婚禁止法」(1949年)、白人、カラード、インド人、黒人の4人種分別を義務付ける「人民登録法」(1950年)、黒人の身分証携帯を義務化する「パス法」(1952年)、人種別の居住区分を定めた「集団地域法」(1950年)など、人種差別・隔離を進める法律が次々に制定。居住地域だけでなく、公共施設、交通機関、教育機関などにおいてすべて隔離政策がとられ、白人が他の人種を管理し、富を独占する体制が構築されます。

1960年代には、イギリスからアパルトヘイトを非難されたため、イギリス連邦を離脱、立憲君主制の南アフリカ連邦から南アフリカ共和国となります。

国内では、アフリカ民族会議(ANC)などによる民族解放運動が行われますが、死者69人にのぼった「シャープビル虐殺事件」(1960年)、にみられるように、黒人活動家は厳しい弾圧を受け、ANCの指導者ネルソン・マンデラを含む多数の活動家が投獄されます。1970年代には、黒人学生を中心とした暴動「ソウェト蜂起」が起きますが、警察による発砲などで500人もの死者を出す惨事となり、国際社会からも非難を受けます。

 

[ アパルトヘイトの終焉 ] (1980年代~1990年代)

1980年代、国内では反アパルトヘイト闘争はさらに激しさを増します。国際的には、オリンピック参加拒否や経済制裁などを受け、南アフリカは孤立していきます。

1989年、民主改革路線をめざすデクラーク(国民党)が大統領となり、人種間の対話による現実的な融和を目指します。1990年にネルソン・マンデラら黒人活動家を釈放、1991年アパルトヘイト関連法の廃止が決定されます。

1994年には、すべての人種が参加した総選挙が始めて行われ、ANCが勝利し、マンデラ大統領が誕生します。デクラークは副大統領に就任します。

 

[ マンデラ政権とその後 ] (1990年代~2000年代)

 マンデラ大統領は、民族協調を推し進め、経済復興開発計画(RDP)をもとに、南アフリカの再生が図られます。マンデラ大統領退任後も、ムベキ大統領(1999年~2008年)、モトランテ大統領(2008年~2009年)、ズマ大統領(2009年~現職)と、約6割の得票率のANC政権が続いています。

 21世紀にはいると、豊富な地下資源を軸として著しく経済成長が成長し、BRICSの一角を占めるに至ります。世界経済をリードするG20メンバーにもなり、2010年にはサッカーのワールドカップが開催されるなど、国際社会にも完全復帰します。

しかし、アパルトヘイト時代の負の遺産である人種間の教育や失業率格差などの社会的課題がある一方で、ブラックダイヤモンドと呼ばれる黒人富裕層と、貧困層との経済格差などの新たな課題にも直面しています。

 

南アフリカの教育システム

 南アフリカの現在の教育制度は、7・5・4制で、初等教育(小学校)が7年(7歳~13歳)、中等教育(高等学校)が5年(14歳~18歳)です。日本の中学校に相当する学校はありません。小学校の7年間(1年生~7年生)と高等学校の前半2年(8年生~9年生)の9年間が義務教育で、高等学校の後半3年間(10年生~12年生)は義務教育ではありません。12年生において全国一律の卒業試験(Matric)が行われ、その結果によって大学進学の成否が決まります。また、専門学校、短期大学などに進学することができ、一部は義務教育が終わる9年生の後に進学できます。

南アフリカの公用語は、英語、アフリカーンス語、バントゥー語系の9言語を合わせて11言語あります。バントゥー語系言語の多くは口承言語であるため専用の文字がなく、アルファベット表記で代用しています。授業で用いられる言語は、地域や部族によって異なりますが、1年生と2年生では各部族のバントゥー語系言語などの母語、3年生から一部英語となり、4年生以降は基本的にすべて英語で授業が行われます。

アパルトヘイト時代には、白人、黒人、カラード、インド人の人種4分類ごとにそれぞれ異なった教育制度となっており、義務教育制度は白人のみでした。1994年のアパルトヘイト撤廃とその後の国のありかたの礎として、教育が国の最優先課題とされ、統一された義務教育制度が導入されました。そのため、白人以外の識字率も飛躍的に向上し、若年層(15歳~24歳)では男性99.3%/女性98.5%(国連 2015年)と高いです。しかし、アパルトヘイト時代の教育を受けられなかった黒人壮年層は、母語に文字がないこともあり識字率が低く、教育機会の格差が解消されるまでに時間を要するものと見られています。

 

【教育基本システム】

 

 

参考文献

・南アフリカ統計庁

South African Reserve Bank(南ア中央銀行)

南アフリカ観光局

・世界銀行 「The World Bank Data」

世界保健機構(WHO) 「World Health Statistics 2015」

CIA

外務省

JETRO

国土交通省

World Elections  「Race, Ethnicity and Language in South Africa」