第1章 ミャンマー-基礎知識(8月27日更新)

基礎知識

 

■ 正式国名 ➡ ミャンマー連邦共和国

英語名:Republic of the Union of Myanmar
ミャンマー語名:

■ 国旗

ミャンマーの国旗は、軍事政権によって20101021日に新しいデザインに変更されました。

上から黄色、緑、赤の順で引かれた三色の帯上に、大きな白星が描かれています。三色の帯の黄色は「平和と平穏」、緑は「団結や調和」、赤は「愛」を表し、白い一ツ星は、「国家の統一」を象徴しています。

■ 面積・国士➡ 68万㎢(日本の約1.8倍)

東南アジアのインドシナ半島に位置し、中国・タイ・ラオス・インド・バングラデシュと国境を接し、海側はマルタバン湾・ベンガル湾・インド洋と面しています。

インドシナ半島で最大の面積を持ち、国士面積は日本の約1.8倍にもなります。

行政区分は国道中央に7つの管区と1つの連邦領があり、その周辺を囲むように7つの州があります。7つの管区は、ザガイン管区、タニンダーリ管区、バゴー管区、マグウェ管区、マンダレー管区、ヤンゴン管区、エーヤワディ管区です。マンダレー管区の中心に連邦直轄地であるネピドー連邦領かあります。7つの州は、カチン州、カヤ州、カレン州、チン州、モン州、ラカイン州、シャン州です。7つの管区には主にビルマ族が住み、7つの州には主に少数民族が暮らしています。それぞれの州の名前はその州に住んでいる民族の名前に由来しており、例えば「シャン族」が多く住んでいる州は「シャン州」となっています。

 

 

https://www.jics.or.jp/map/images/myanmar.gif

(出所:一般財団法人 日本国際協力システムHP

 

■首都 ➡ ネピドー(英語名:NayPyi Taw)

ネピドーはミャンマー語で「王都」、「首都」を意味します。ネピドーの人口は116万人、ヤンゴンの人口は736.1万人(2014年国勢調査時点)であり、実際の経済的中心地であるヤンゴンに人口が集中しています。首都圏面積は約7,000㎢です。

ネピドーは2006年に遷都したばかりで、首都としては新しく、道も非常に広く整備されています。遷都により、中央省庁などはそれまでの首都ヤンゴンからネピドーに移されています。

行政庁舎が集まる行政地区は政府の許可がなければ立ち入ることができませんが、商業地区などその他の場所は、外国人観光客でも訪れることができます。

ミャンマーの国土中央に位置し、ヤンゴンから北に約350㎞、車で約5時間、バスで約6時間、飛行機で1時間弱です。日本からのネピドーへの直行便はありません。

今までは、携帯電話やインターネットが繋がらないという問題もありましたが、近年では設備投資が増えて現代的な街になっています。

 

■年号 ➡ 仏暦

ミャンマーは仏暦を使用しています。西暦に544年を加えると仏暦になります(仏暦2562年= 西暦2018年= 平成30年)。

釈迦の入滅(仏滅)を元年とした仏暦を用いており、ミャンマーの他ではスリランカで使われていますが、タイ、ラオス、カンボジアで使用されている仏暦とは一年のズレがあります(タイの仏暦2561年= ミャンマーの仏暦2562年= 西暦2018年)。

 

■気候 ➡ 熱帯、温帯

ミャンマーは、国土が南北に長いため、地域によって異なる気候の特徴を持っています。

北部は温帯で、中部からヤンゴンのある南部にかけては熱帯で高温多湿です。暑季(3月~ 5月)、雨季(6月~ 10月)、乾季(11月~ 2月)の3シーズンに分けられます。

年間を通じて高温多湿のため種々の感染症が発生しやすいといわれています。感染性の胃腸炎、サルモネラ、腸チフス、腸炎ビブリオ、大腸菌、カンピロバクター感染症、細菌性赤痢、コレラ、アメーバ赤痢などの感染の危険性があります。

■ 時差 ➡ -2時間30分

日本との時差は2時間3 0分で、日本が正午のとき、ミャンマーは午前9時30分です。サマータイムの導入は行われていません。

 

■ 人口 ➡ 約5,466万人(2020年ministry of labor immigration and population)

 

■ 民族➡ 国民の6割以上はビルマ族ですが、ミャンマーには大きく8つの部族、135に及ぶ民族が暮らしています。

ビルマ族は主に管区に暮らし、その他はシャン族、カレン族、ラカイン族等が主な民族となっています。

英国植民地時代に統治手段として各民族間の対立が醸成されたこともあり、少数民族からのビルマ族に対する反感には根強いものがあります。

 

■ 言語 ➡ ミャンマー語

ミャンマーの公用語はミャンマー語(ビルマ語)です。ミャンマー語には独自の文字があり、モン族が使っていた文字が、11世紀後半にミャンマー語に使われるようになりました。その他各少数民族は固有の言語を有します。英国の植民地であったこともあり、初等教育から英語が必須科目で、隣国と比べると比較的英語が通じやすいという特徴があります。また、ビルマ語は日本語と語順が似ているなどの共通点があり、ミャンマー人は日本語を学びやすいと言われています。15歳以上の国民全体の識字率は2016年の75.5%です。(UNESCO: BROWSE BY COUNTRY)

 

■ 通貨 ➡ チャット

通貨はチャット(Kyat)で、国際通貨コードはMMKです。補助通貨としてピャー(Pya)(100ピャー= 1チャット)がありましたが、インフレにより現在はほとんど使われていません。

主に使われている紙幣は50、100、200、500、1,000、5,000、10,000ですが、50チャット札を除く100チャット未満の紙幣は現在ほとんど使われておりません。10,000チャット札が2012年6月に、1,000チャット札が2020年に新しく発行されました。

2018年10月12日付けの為替レートでは、100円=1,368.5.5 チャットです。

 

■ 宗教 ➡ 上座部仏教

ミャンマーの国民の多くはタイやカンボジアと同じく上座部仏教を信仰しています。2014年に実施された国勢調査では、国民の89.8%は仏教徒であり、その他、キリスト教6.3%、イスラム教2.3%、ヒンズー教0.5%、精霊信仰0.8%、無宗教0.1%、その他0.2%になっています。

仏教は紀元前3世紀頃、モン族に伝えられたのが始まりといわれ、その後10 ~ 11世紀頃にパガン王朝の興陵とともに全土に普及しました。パガン王朝時代には国王や王族の手によって仏塔(パゴダ)や寺院の建立がさかんに行われ、現在でも2,000を超す仏塔や寺院を見ることができます。

また、ミャンマーの人々の間には仏教が渡来する前から精霊(ナット)信仰が深く根付いていて、仏教と習合しています。

 

■ 医療環境

ミャンマーの医療事情は、不衛生な環境にあると言えます。特に手術室の衛生管理の問題があります。日本など先進国の病院において手術室はクリーンエリアと呼ばれ、ドアは手で開けず、すべて全自動扉になっていますが、ヤンゴンでは手術室の最初のドアを手で開け、あとは開放しているケースが多くあります。そのため、当然外の空気や虫も入り込んでしまう可能性があります。衛生面が整っている医療施設でも、医師数が不足しており、定期的にオーストラリアやシンガポール等の海外から医師が来て治療を行っているのが実情です。

入院時には、外国人の利用が多い私立病院のごく一部を除き、ほとんどの病院では、看護人や食事を自分で用意する必要があります。外国人や富裕層は、私立のインターナショナルクリニックを利用することが多いです。

■ ミャンマーの主な歴史

ミャンマーの歴史は諸部族割拠時代を経て、11世紀半ば頃に最初のビルマ族による統一王朝(パガン王朝1044 ~ 1287年)が成立しました。その後タウングー王朝、コンバウン王朝等を経て、1886年に英領インドに編入され、第二次世界大戦後の1948年にビルマ連邦として独立を果たしました。2011年までは軍事政権でしたが、同年3月に大統領制に移行してテイン・セイン氏が大統領に就任し、社会主義から民主主義に変わる大きな歴史的変化が起こりました。2015年11月、総選挙が行われ、アウン・サン・スー・チー氏(以下スー・チー氏)率いる当時野党の国民民主連盟(NLD)が圧勝しました。スー・チー氏は軍事政権が改定した憲法の規定と軍の反対により大統領になれず、2016年3月、スー・チー氏側近のティン・チョー氏が大統領となり、半世紀以上振りに文民政権が誕生しました。スー・チー氏自身は「大統領より上に立つ」存在として複数の閣僚を兼任することとなりました。

【ミャンマーの主な歴史】

主な出来事
1044年 パガン王朝が成立
1287年 モンゴル軍が侵攻。パガン王朝は事実上壊滅
1550年 タウングー王朝が成立
1775年 アラウンパヤー王が、全国統一によりコンバウン王朝が成立
1824年 第一英緬戦争
1852年 第二英緬戦争
1886 第三英緬戦争、 イギリス植民地となる
1941 日本軍侵攻開始
1945年 抗日運動によって再びイギリス領になる
1948年 ビルマ連邦として独立し、初代首相はウー・ヌになる
1962 ビルマ連邦社会主義共和国が発足し、大統領はネ・ウィンになる
1987年 国連から後発開発途上国の認定を
1989年 国名をBurmaからMyanmarへ変更
1991年 スー・チー氏がノーベル平和賞を受賞
1997年 ASEANに加盟
2004年 キン・ニュンが更迭 され、ソー・ウィンSPDC第一書記が首相に就任
2006年 正式に行政首都ネピドーへの遷都
2010年 20年ぶりの総選挙
2010年 アウン・サン・スー・チー氏自宅軟禁解除
2010年 国旗のデザインが変更される。
2011年 ネピドーで総選挙後初の連邦議会が開幕
2012年 国会の補欠選挙においてアウン・サン・スー・チー氏当選
2012年 米国の現職の大統領として初めて、オバマ大統領がミャンマーを訪問。
2013年 テイン・セイン大統領は残りすべての政治犯に対し、恩赦を与えたと発表
2015年 総選挙開催
2016年 ティン・チョー大統領就任、ヤンゴン証券取引所が取引開始

 

■政治体制 ➡ 大統領制、共和制

[元首]

ウィンミン大統領(2018年3月就任)

[行政組織]

2011年1月施行の新憲法により、行政組織も大きく変わることになり、軍事政権下の最高意思決定機関であった国家平和発展評議会は、2011年3月に解体され、テイン・セイン大統領を中心とする新政府に権限が委譲されました。しかし、新政府の運営としては実質的には これまでと同様に軍人中心に行われていました。
2015年の総選挙では、アウン・サン・スー・チー氏率いる、国民民主連盟(以下、NLD:National League for Democracy)が圧勝し、NLDへ政権が移動となりました。

ミャンマーでの任期は5年となり、次の総選挙は2020年11月と予定されています。

テイン・セイン首相を首班とする旧内閣は、ディーゼル輸入販売の自由化、ガソリンスタンドの民営化、トラック・バスなどの商業車の輸入手続の簡素化、二輪車の輸入解禁などの市場自由化や、政治犯の相次ぐ釈放など、改革への本気度を諸外国に向けてアピールしていました。実際に、経済特区でもあるティラワ工業団地の開業なども成し遂げました。

2016年からは、ティン・チョー氏が大統領に就任し、スー・チー氏はNLD中央執行委員会議長、外相、大統領府相及び国家顧問に就任しています。その後、2018年にティン・チョー氏が辞任したため、現在はウィンミン氏が大統領に選出されました。

[国会]

大統領制に変わって以降、二院制の連邦議会が創設され、連邦議会は上院と下院の2つで構成されます。両院とも議員の任期は5年で、議席数は上院が224議席、下院が440議席です。各議院の議席のうち、4分の1は国軍司令官による指名枠となっており、残りの4分の3は国民による直接選挙で選出されることになりました。

2012年 1 月には、スー・チー氏が率いるNLDの政党登録が認められ、国政への参加が可能となりました。2012年4月に行われた選挙では、45議席中43議席をNLDが占め、民主化が進んでいることがわかります。

2015年11月には民主化後初の総選挙が行われました。選挙前の2015年8月には、与党内で突然の党首解任が行われるなど、様々な動きが報道されました。

 

■教育制度

ミャンマーの学校教育制度は、基礎教育と高等教育から成ります。基礎教育は、小学校5年間、中学校4年間、高等学校2年間及び各種職業学校があります。高等教育には短期大学、大学があります。義務教育なのは、小学校のみです。学校は6月から始まるため、6月初めまでに満5歳になる場合、小学校第1学年に入学します。政府は1980年代から初等教育の充実に力を入れており、小学校の開設も増えています。その結果、小学校の就学率は1999年度の91%から、2004年度には96.5%に上昇しました。2001年度からは、1年生から11年生までの進級、及び11年生修了について、各教科の単元もしくは章末テストにより児童生徒の学力を評価する「学力継続評価制度」を実施しています。現在のところ、現地の小・中・高等学校への外国人の入学は困難です。

■経済動向

軍事政権からの民政化が行われ、ミャンマーは歴史的な大転換点を迎えています。テイン・セイン大統領は、スー・チー氏等の政治犯の解放を積極的に進めて民主化を強調しつつ、経済面では、外国資本の誘致による工業化推進の方針を示し、既に種々の開放政策を打ち出しました。外交面では、2010年4月、ミャンマー政府とインドのタタ・モーターズとの間で大型トラックを共同生産することが合意されました。その他にも、ベトナムのズン首相がミャンマーを公式訪問し、ミャンマー、ベトナムの両国において投資拡大などに合意し、経済・産業などの幅広い分野で国際間の連携強化を図っています。

2011年には特別経済区法が整備され、5カ所がその指定を受けました。工業団地の建設、それに伴う港湾の整備建設、石油・天然ガスの輸送パイプライン延長、道路・鉄道の拡張など、大型の投資が呼び込まれていくことが期待され、特に貿易上関係の深いタイ・中国・韓国・インドなどからの大型投資が認可されつつあります。

2012年に入り、ミャンマー政府は5月13日、服役中の政治犯651人を一斉に釈放しました。これを受け、クリントン米国務長官 は同年の5月17日、米国を初めて公式訪問したミャンマーのワナマ ウンルウィン外相との会談後の共同記者会見で、米企業の対ミャンマー新規投資を禁止してきた経済制裁を「停止」する方針を表明しました。また、EU(欧州連合)も、4月23日に、武器の禁輸を除く経済制裁を1年間停止することを発表しました。

その後、ミャンマーの政治・経済改革を欧米諸国が評価し、アメリカは2012年11月に宝石一部品目を除くミャンマー製品の禁輸措置を、EUは2013年4月に武器禁輸措置を除く経済制裁をそれぞれ解除しました。2016年10月、アメリカは前月のアウン・サン・スー・チー氏の訪米の際オバマ大統領との会談を経て、麻薬関連、北朝鮮関連以外の経済制裁の解除を発表しました。

■日・ミャンマー関係

日本とミャンマーは、1954年11月に平和条約、賠償・経済協力協定を締結して以来、友好的な関係を築いてきました。ミャンマーの反民主化の動きに対応し、人道的な理由かつ緊急性がない援助は、2003年から停止されていました。しかし、2012年4月に行われた「日本・ミャンマー首脳会議」において、ミャンマーに対する過去のODAの返済免除や、今後の対ミャンマー支援が決定されました。具体的には遅延損害金を含めた約5,000億円の過去の対ミャンマーODAの返済が免除され、更に、500億円規模の円借款を開始し、インフラ等の整備を推進することで合意しました。また、先述の「日本・ミャンマー首脳会議」において、ミャンマーに対する過去の延滞債務の一部の返済免除や、今後の対ミャンマー支援が決定されました。具体的には遅延損害金を含めた約5,000億円の過去の対ミャンマーODAの返済が免除され、更に、50 インフラ等の整備を推進することで合意しました。また、先述の「日本・ミャンマー首脳会談」において、今後、毎年400名規模の留学生及び研究員の受入れ・民主化推進のための人材育成が期待されるとの発言がありました。また2014年には両国外交関係樹立60周年を迎えています。2016年11月には、スー・チー氏が来日し、面会をした安倍総理大臣は、少数民族との和平実現や貧困対策などに、今後5年間で官民合わせ、8千億円規模の支援を行うと表明しました。

日系企業が長年にわたり事務所を設置して活動を行ってきたことから、民間レベルでも、日本には優先的な配慮がなされています。ミャンマーでは2014年、9行の外資銀行が外資銀行ライセンスを初めて付与されましたが、その内邦銀は最多の3行(みずほ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行)です。保険業では、太陽生命保険は財政省・ミャンマー保険事業監督委員会よりミャンマー初の医療保険設置のためのリーディングコンサルタントに任命されて活動しており、損保ジャパン日本興亜損保はミャンマー民間保険会社であるAYA Myanmar Insurance Co., Ltd.と業務提携しています。官民ともに友好的な関係を築いているといえます。

ODAのほか、日本からの技術支援や投資にも大きな期待が寄せられています。日本企業もミャンマーに熱い視線を向けています。ミャンマーは世界有数の親日国でもあり、タイ人以上に日本への憧れが強いことが特徴的です。例えば、大学の中でも習う外国語として、日本語の人気は高いです。、日本製品に対する信頼性も他のアジア諸国と同じく高いと言われています。日系企業に就職したい、日本と何らかの形で繋がりを持ちたいという人も多く、日本製の自動車、電化製品はもちろんのこと、日本の文字までもが彼らにとってはブランドになっています。

 

■在留邦人

在留邦人は、海外在留邦人数調査統計によると、2019年はでは3,063人となっています。2014 年 1月は 1,330人となっていたので、約3年で大きく伸びています。

 

参考文献

[参考文献]

・ 外務省

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/myanmar/data.html

http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/world_school/01asia/infoC11800.html

http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000260884.pdf

・ 農林水産省

・ ASEAN TELMIN

・一般財団法人 国際協力システム

https://www.jics.or.jp/map/myanmar.html

・厚生労働省検疫所

http://www.forth.go.jp/destinations/country/laos.html

・International Labor Organization

http://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/—asia/—ro-bangkok/documents/meetingdocument/wcms_382802.pdf

 

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